「ただいまー」仕事を終えた私は大くんのマンションに帰って来た。三月はじめから同棲している。慣れない料理をインターネットで検索しなんとか調理する毎日。インターネットさまさまだ。今日、もらった花束を花瓶に入れようと準備していると、下に落として割ってしまった。「ど、どうしよう!」あたふたしていると、テレビには大くんが映っている。あ、大くんっ。目をハートにして見ていると……「おい、危ないだろう」呆れた声が後ろから聞こえて、驚いて振り向くと大くんが立っていた。「お、お帰り」「テレビの俺に夢中になって後ろにいる俺に気がつかないって……」苦笑いされて恥ずかしくなってくる。しゃがんで片付けようと手を伸ばすと「触るな」と怒鳴られる。「危ないから俺がやるから」手際よく片付けてくれる。結局、二人で料理をして夕食を食べていると、寧々さんが乱入してきた。たまに現れて夕食を一緒に食べている。でも、本当に大くんのことは諦めてくれたみたいで今は友達として接してくれているから、安心だ。「今日も二人から声をかけられちゃって。もう、イケメンとか見飽きたから私も一般人と付き合っちゃおうかな。美羽ちゃんみたいな地味な感じのサラリーマンとか。あ、美羽ちゃん、誰か紹介してよ」「地味って言うな。美羽は素朴で可愛いんだから」地味、素朴……うーん、なんか、微妙な気持ち。「あーあ。なんか愛されたいなぁー」こんなに綺麗だからすぐに見つかりそうな気がするのに、運命の人ってなかなか出会えないものなのかもね。寧々さんはお腹いっぱいになって話したいことを話すと、帰っていく。自由人である意味羨ましい。寧々さんを見送りリビングに戻った。ソファーに座っている大くんに後ろから抱きつく。「なーに、美羽」チョコレートのように甘い声で言って上を向いた大くんに引き寄せられてキスをする。唇が逆さまなキス。私の愛を全て受け入れてくれる。そんな大くんが大好きで、たまらない。「こっち、おいで」「うん」大くんの隣に座ろうとしたら、大くんは自分の太ももをポンポンと叩く。「美羽から誘ってくれるなんて嬉しい限りだ」「誘っているんじゃなくて」楽しそうに笑っている顔を見ると幸せな気持ちが胸いっぱいに広がってきた。夫婦になったらまたいろいろな難があるかもしれないけれど、苦しいことを乗り越
続編第一章 小さな嘘と遠慮部屋には春らしい優しくて温かい光が差し込んでいる。窓から見える空はほどよく白い雲が浮いている。私は押し花しおりが置かれている『はな』のお供えコーナーに手を合わせていた。大くんの家に住むようになってから、お供えコーナーを作ってくれた。生まれて来ることはできなかったけど、お腹の中で生きていた事実は消えないし、いつまでも忘れたくない。「今日も、パパがお仕事を無事で安全に、精一杯頑張ってこられますように」手を合わせてお願いをする。「ありがとう、美羽」後ろから愛しい大くんの声が聞こえて、赤面してしまう。聞かれてしまった。心の声をつい口に出してしまった。あぁ、恥ずかしい。隣に座って大くんも手を合わせた。「今日もママが元気に暮らせますように」優しい言葉。同じ言葉でも大くんが発すると柔らかくなる気がした。耳に言葉が届くたびに胸が温かくなる。この人を好きになってよかったと、いつも思っているのだ。正座したまま見つめ合う。「おはよう、美羽」「おはよう、大くん」日常の挨拶を面と向かって言えることが、こんなにも幸せだとは想像していなかった。予想はしていたけれど、こんなにも素晴らしいとは思っていなかったのだ。好きな人と過ごす時間は贅沢をしなくても素晴らしいものがなくてもキラキラと輝く宝石よりも価値があると思っている。大くんは、私の手を取った。大きい手だ。そして、左手の薬指を擦る。「…………美羽。指輪つけてって言ってるだろ。どうしてつけてくれないのかな」ちょっとだけ、ふくれた大くん。クリスマスにプロポーズしてくれた時に、買ってくれたダイヤのリングだが、どこかに落としてしまいそうでつけられずにいた。大事に保存している。「だって、あんな高価な物……、万が一落としちゃったら怖いし……」「リングをつけてくれなきゃ、俺の女だって証明できないでしょ。他の男に取られたら困るんだよ」そんなに心配することないのに。私は一途だ。私は面白くて、笑ってしまう。「ないない。私を好きになってくれる人なんて、大くんしかいないよ」大くんはムッとして私を引き寄せる。筋肉質な大くんの胸の中に包まれた。相変わらず、いい香りがして、抱きしめられるだけで胸が疼く。「美羽は、自覚が足りない。世界で一番美しいし、可愛いし、いい子だよ」なんだか
大くんの仕事の関係もあるから、まだはっきりと入籍日を決めていないのだ。大くんと住み始めて一ヶ月が過ぎていた。仕事を退職してから今は大くんの家で炊事洗濯をしている。苦手な家事だが、働かず家にいてもやることがないので、自分なりに頑張っているつもりだ。余計な仕事増やしていないか心配だ。私も食卓テーブルについて一緒に食事をする。「えっと、今日はテレビ収録と……雑誌撮影だっけ?」「ああ。あとは打ち合わせがあるよ。年末番組のね」「忙しそうだね」「まあ、仕事をもらえていることに感謝して頑張ろうと思ってるよ」スターの鏡のような人だ。感謝する気持ちがどんどんと大くんを大きくしているのかもしれない。大くんは、週に一度は休みがあるけど、一緒にお出掛けはあまりしていない。オフの日は仕事場で出会った人と飲み会があって忙しそうだ。本来彼はマイペースでゆっくりとした時間を与えなければストレスで駄目になってしまうタイプ。これからもずっと共に暮らしていくことになると思うけれど、家にいる時はストレスをなるべくかけないようにしようと思っている。そうは言っても難しいかもしれないけれど……なるべく頑張っていきたい。それにまだ入籍前だから堂々とは外へ出れない。ドライブとかしたいな。普通にデートしてみたい。芸能人と結婚するのは色々不自由があるけど、でも、好きな人と一緒に過ごせることに感謝しようと思う。「スタジオに一緒に来る?」「……え、いいよ。大丈夫」「そうか。俺は美羽を連れて行きたいけどね」ふわりと笑ってカットしたフルーツをパクっと食べた。大くんの笑顔には本当に癒やされる。食べられたフルーツまでもが幸せそうに見えた。「ご馳走様でした」立ち上がって自分で食器を下げる大くん。時計を見ると、まだ朝七時なのに出かける準備をする。ああ、もういなくなっちゃうのかと思うと寂しくなった。私も食器を下げて大くんの後をくっついて歩く。何かしてあげたいけど、一人でテキパキと行動してしまうので私はまるで金魚のふん状態だ。大くんにとって私は必要ないのではと思ってしまう。大くんの携帯が鳴る。池村マネージャーが下まで迎えに来たみたい。「行ってくるね」玄関まで一緒に行ってお見送りをする。出て行く前に一度振り向いて頭を撫でてくれた。そして、出て行ってしまった。ドアが閉まると
まず、洗濯をしようか。そして、掃除して、夕飯のメニューを考えよう。洗濯物をネットに入れて洗剤を入れる。グルグル回り出す洗濯機をじっと見ていた。コンサートで大くんは私との交際宣言をしてくれて、結婚の意志まで伝えてくれた。私がどんな女性なのかマスコミの報道は加熱していたが、一週間もすれば別の話題にすり替わっていた。世間とはそんなものだ。報道直後は、私は一般人なのにメディアに追いかけられることがあった。でも時間が解決してくれることもあるので、私は自分らしく強く生きていかなければならないと思うようになっていた。仕事は会社に迷惑をかけてしまったので残念ながら退職した。黙って家にいるのは物足りない。掃除、洗濯、料理などすることはあるけれど、それでも時間が余ってしまう。家事をやりながらでもできる仕事があればやりたいけど、大くんは私が働くことについてはどう考えているのだろう。もし仕事をすることになったとして、私の結婚相手が大くんだと知ってしまったらまた会社に迷惑をかけることになるかもしれない。そう考えると簡単にまた仕事に復帰したいと伝えることもできなくて悩んでしまう毎日だった。大事なことなのになかなか話せないでいた。そんなことを考えつつ、洗濯機をかけながら、フローリングを丁寧に拭いていく。大くんは「膝が黒くなっちゃうから」とフローリングはモップでと言われているけど、雑巾で拭いてしまう。なかなか癖が抜けない。午前中で掃除も、洗濯も、終わった。夜ご飯の準備をするのにも少し早いから、ぼーっとテレビを見ていた。――早く、大くんに会いたいな……と思いつつソファーでうたた寝していた。春の太陽は温かくて優しくて抱きしめられているような気分になる。のんびりしすぎている平和な時間。大くんが頑張っているのに悪いな……と思ってしまう。何か自分にできることはないだろうか。家事を極めるなら料理教室に通うとか、何かしなければ駄目な人間になるような気がしていた。インターネットをして習い事を調べていたが、そのまま睡魔に襲われてソファーで眠っていた。
そんな私の意識はスマホの着信音で戻ってきた。「はい」画面もろくに確認しないで、寝ぼけながら出る。『もしもし、美羽?』「だ、大くんっ!」大くんが仕事をしているのに、うたた寝してしまうなんて申し訳ない。『声がガラガラだけど……調子悪い?』「え、いや……」微かな変化にも気がついてくれる。それほど、いつも私のことを思ってくれていると改めて知った。寝ていたなんて、言えない。大くんに嫌われたくない。そんな気持ちが湧き上がって、つい嘘をついてしまった。「ちょっとだけ、微熱があって横になってたの……。でも、心配するほどのものじゃないから。ごめんね」『朝から具合悪かったのか? 無理しないで病院に行ったほうがいい。一人で大丈夫か?』心底心配している声に胸を痛める。嘘なんてつきたくなかったのに。私ってズルイ。こんな気持ちになるなら働きに行ったほうがいいんじゃないのかな。でも……会社にまた迷惑をかけてしまうかもしれない。堂々巡りだ。「大丈夫。少し横になれば楽になるから。心配しないで」『うーん……。とりあえず、今日はご飯の支度をしなくていいから。ゆっくり寝てろよ?』「えっ、大丈夫だよ。ちゃんと準備しておく。……ところでどうしたの?」仕事をしている時間帯に電話をしてくるのはとても珍しいことだった。たまに空いた時間があれば連絡くれることはあるけれど。「用事があったんじゃないの?」『いや。美羽の声が聞きたかったんだ。無性に……。家に帰ったら会えるのにな』仕事を辞めて急にやることがなくなった私のことを気にかけてくれるんだ。大くんに嘘をついてしまったことで胸が痛くなる。私ってヒドイ人間だ。『じゃあ、そろそろ戻るから。愛してる』甘い言葉を囁いてくれた大くんの背後から『ラブラブだな』とメンバーの赤坂さんの声が聞こえた。『当たり前だろ』茶化されているのに普通に答えている。一緒に仕事をしているのだろう。雑誌撮影かな。単独の仕事じゃなくてCOLORとしての仕事なのかな。「頑張ってね。帰って来るの、楽しみにしてるから」『ありがとう。本当に無理するんじゃないぞ』通話を終了して、時計を見ると十五時だ。そろそろ夕飯の支度をしようかな……。あぁ、大くんごめんね。
スマホのインターネットで材料を検索してメニューを決める。冷蔵庫に鶏肉が入っている。これを使って何かを作りたい。しかも、なるべくヘルシーなものがいいよね。メニューを決めて、キッチンで鶏肉の皮を取る。油は落とさなきゃ。味付けには自信がないけど、大くんが喜んでくれることを想像すると胸がジンっとなった。大くんのために頑張る。大くん、大好き。包丁で材料を切り始めた。料理はあまり得意じゃないけれど美味しいと喜んでくれる姿を想像する。失敗しても文句を言わないで全部食べてくれるのだ。こんなに優しくて素敵な人ってこの世の中にいるのだろうか。「ちょっと、何やってるんですかっ」いきなり背後から声が聞こえてびっくりした。幻聴でも聞こえたのかな?振り返ると、池村マネージャーが両手に買い物袋をぶら下げて立っていた。「って、え! 池村マネージャー……、ど、どうされたんですか?」「どうしたじゃないですよ。紫藤が……あなたが熱を出して寝込んでいるかもしれないからって、届けてこいと言われたんです」袋を差し出される。ゼリーやスポーツドリンクがいっぱい入っていた。うわ……大くんと池村マネージャーに気を使わせてしまった。「起こしたら可愛そうだからって鍵を渡されて、そっと入ってとのことでして。なのに、なぜに料理をされているんですか! 寝てください! あなたが倒れると紫藤が心配するじゃないですかっ」大くんが心配してここまでしてくれるとは思わなかったから、驚いてしまった。大くんに悪いと思ってついた小さな嘘。それで第三者に迷惑をかけてしまうなんて、思わなかった。「ご、ごめんなさい」「は?」私が急に謝り出したので怪訝そうだ。「熱は、ないんです……」「はあ? じゃあ、紫藤に心配させたくて嘘をついたんですか?」冷静な池村マネージャーを怒らせてしまった。ものすごい顔で睨んでいる。余計な仕事を増やしたので怒りたくなる気持ちも理解できた。私の行動が安易だったと深く反省する。「……違うんです……いろいろとわけがあって」「どうして紫藤は、あなたを選んだのでしょうね」チクリと胸に刺さった言葉。たしかに、池村マネージャーのようにしっかりした女性であればもっと支えてあげられたのに。そのほうが大くんも幸せだったかもしれない。せっかく一緒に暮らすことができるようになったのに、私
料理を終えてソファーで大くんの帰りを待っていた。今日は二十二時頃には、戻ってきてくれるらしい。嘘をついてしまった理由を聞かれるだろう。大くんは許してくれるだろうか。テレビもつけないで無音の中、クッションを抱えて座っていた。ドアが開いた音が聞こえた。大くんが帰って来たのだと嬉しくなったけれど、嘘をついたことが後ろめたくて立ち上がったけれど迎えに行けなかった。……どうしよう。すぐに大くんがリビングに入ってくる。「ただいま、美羽」「お、お帰り……」下手くそな笑顔を浮かべて大くんに近づいていくと、大くんは手を伸ばして私の額に手を触れた。気まずくなって視線を落とすと、夜ご飯を買ってきてくれたらしく、袋が手にあった。「本当に、熱ないな。池村が嘘をついたのかと思ってしまったよ」大くんは、私を信じてくれたんだ。それなのに、なんてヒドイことをしてしまったんだろう。キッチンに目を向けた大くんは眉をひそめた。「ご飯を作る余裕もあったんだな。まぁ、元気でよかったよ」優しすぎる笑顔に泣きそうになってしまった。ちゃんと謝らなきゃ。大くんを見つめると、真面目な顔をされた。大くんは明らかに感情を出さないようにしている。心の中では怒っているのだろう。「美羽、でも……ちゃんと話をしようか」「うん……」「こっち、おいで」手を引かれてソファーに並んで座った。大くんと私は体ごとお互いを向き合う。真剣な顔で笑顔は浮かべずまっすぐに見つめられた。緊張して唇が乾いてくる。手が冷たくなってきてぎゅっと握った。「美羽は嘘をつかない子だと思ってたから。俺……ちょっと、ショック受けてる。きっと、理由があったんだと思うけど……正直に言ってほしい」小さな嘘だったのに、愛しの人を傷つけてしまった。よくないと思っていたけど、改めて嘘をついたことを後悔する。一つ頷いて隠さずにきちんと伝えようと心が決まった。「実は、電話をもらった時にうたた寝をしていたの。大くんが一生懸命頑張って働いているのに、何もしないで寝てしまうなんてヒドイでしょう? だから、咄嗟に嘘をついてしまったの。ズルイよね、私……。本当にごめんなさい」大くんの顔から緊張の色が消えていく。私の手を自分の手の平に乗せてもう一つの手で包み込んでくれた。大きくて温かい。「そんな理由だったのか。気を使ってくれたん
「大くん……私ね、やっぱり家にいるだけだと申し訳ない気持ちが出てきちゃうの。だから、働きに行きたいと思って」私は正直に自分の気持ちを伝えてみた。「え……マジで」驚いたような、困ったような表情の大くん。背もたれに体重をかけて少し考えた顔をする。やっぱり大くんは家にいてほしいタイプなのだろうか。「だってこれから忙しくなるよ。結婚して、子供産んで……」「結婚する日も、まだ決めてないし」ついつい言ってしまった本音。正式に夫婦となるまで不安だったりする……。せめて入籍日を決めておきたい。仕事の関係でいろいろあるのだろうけど、ちゃんと決めておきたいこともある。「……そうだよね。入籍日はせめて決めたいよな。俺は今すぐにでも入籍してしまいたいと思ってるんだけど」体をぐっと起こして私に近づいてくる大くん。「二人にとっていい日にしたいよな。希望の日ってあるか? 美羽の誕生日とか……。事務所にもしっかり相談しないといけないし」いつがいいか、私は首をひねりながら考えてみる。「十一月三日にしない?」「俺らが付き合った日?」「うん。入社した時に果物言葉を先輩に教えてもらってその時に真っ先に調べたのが、大くんと付き合った日なの。それでね、十一月三日が『相思相愛』だったの。私達にとっていい日に入籍したいな」ニコッと笑って「わかったよ、美羽」と言ったあと、優しく抱きしめてくれた。本当に私と大くんは夫婦になるんだ。心の中に温かい気持ちがあふれ出す。顔を上げると、微笑んでいた。お互いに目を閉じてキスがはじまった。私の髪の毛に手を差し込むと、大くんは、もっと唇を押しつけてくる。『はな』を産めずに過ごしたあの日から遡って、会えなかった時間を埋めるように愛してくれていると感じた。遠慮がちにしてきたキスは激しさを増す。唇を割って入ってきた舌と舌を絡めていると、だんだんと甘い気分になってきた。大くんは帰って来たばかりでご飯も食べていないのにいいのかな。不安になって目を開けると、大くんも目を開けて見ていた。
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。